極真の大和魂 極真会館6段 三好かずお

出席率トップを独走

練習の様子

 三好は昭和32年、四国・愛媛県新居浜市に生まれた。子供の頃から人一倍強さに憧れた三好は、中学時代、伝統系の某空手道場に通った。高校入学と同時に、三好は一冊の本と出会った。そしてこれが後の三好の運命を決定付けた。その本こそが極真会館、大山倍達総裁の「私の空手道人生」であった。
「もうこれで私の人生は決まった。決して大袈裟じゃなくて、自分は極真をやるために生まれたとさえ思った程、あの本は衝撃的でした。こうなったらのんびりしていられない。他の空手はやってられない。何とかして極真に入門したいと…。でも当時、極真の道場は四国でも4時間以上もかかる所にあって、通う事はできない。いやそんな事よりどうせ極真空手をやるのなら、本部しかないと思いましたから。絶対、大山総裁の直弟子しかない!って決めてたんです」。
 極真会館総本部入門、そして大山総裁の直弟子と心に決めた三好は、高校卒業まで耐える事にした。そしてそれまで、少林寺拳法を学んだ。当時、少林寺拳法は防具を着用しながらもより実戦的な稽古をする事で知られていた。三好は“極真への想い”をとりあえず少林寺の仲間と汗を流す事で発散させていた。
 極真本部入門という憧れを持ちながら、しかし地元に就職して堅実な生活をして欲しいと願う両親に対して、三好は我を通せる程強くはなかった。親想いの三好は、年老いてくる両親の顔を見るたび、“上京”の夢を口にする事ができなくなった。
 一人悩みを抱いていた三好は、いつしか地元の“デパート”に就職する事になってしまう。悶々とした日々を送っていた高校3年の冬の事である。
 そんな三好の胸中を察した父親は、「大学に行くなら」という条件で上京を許してくれた。決して空手の事は口にしないが、三好には、極真に憧れる息子の想いをかなえてやろうとする父親の優しさが痛い程よくわかった。
 昭和51年4月、三好は大学に入る“名目”で上京した。大学は国士舘、しかし大学の入学式より数日早く、三好は憧れの極真会館総本部に入門した。晴れて大山総裁の直弟子となったのである。
 住まいは、池袋、道場近くのアパートに決める。ちなみに三好は当時、極真に内弟子制度があるのを知らなかったという。道場に通って数ヵ月して後、内弟子制度を知った三好は地団駄踏んで悔しがった。一時は内弟子に入る事を考えた三好だが、「内弟子は白帯から苦労しているのに、色帯を取ってからノコノコ内弟子に入ったら、最初から頑張っている人達に失礼だ」と思い直して内弟子志願をあきらめた。“筋”を重んじる三好らしいエピソードである。
 さて、入門した三好はそれこそ毎日稽古に通った。朝9時の朝礼から2部の稽古が終わる午後6時まで、すべての生活が道場にあった。
「出席率は常時トップでしたよ。“努力賞”はいつも自分のものでした(笑)。黒帯を取るまでは絶対帰らないと誓ってましたから。極真で頑張れと私を見送ってくれた少林寺拳法の仲間に対しても裏切る事になりますからね。とにかく毎日稽古はした。当時の稽古はそりゃ厳しかったです。入門したばかりの頃から先輩方にはガッチリやられました。組手をやっていたら一瞬目の前が真赤になって、あれどうしたのかなって思ったら顔中血みどろだったり。でもあの頃は不思議と何でもなかったです。だってあの極真空手をやっているんだもん、こんなことは当たり前だと思ってました」。