師範代物語 高知支部/愛媛支部 斉藤幹夫/筒井陽久/竹澤剛 野本尚裕/船井孝誠/谷龍治

今ではなかなか全員が集まる機会も少ないという6人の師範代。

新極真会副代表でもある三好一男師範率いる高知支部/愛媛支部は四国地区でも最大の勢力だ。また日本国内においても有数の歴史と規模を誇る。そして師範を支える三好道場の師範代は現在6人。三好師範が師範代を任命する時、重視するのはまず「社会人としてしっかりしていること」だという。今回は大和魂を継承する三好道場の6人の師範代を紹介する。

カラテライフ2014年7-8月号 Text & Photos/神田勲

斉藤幹夫師範代が三好師範と初めて会ったのは斉藤師範代が35歳の頃。三好師範の出身校でもある国士舘大学出身の友人たちに誘われて三好師範に会いに行き、その後、三好道場に入門した。だが、同期に入門した友人たちはみんな辞めてしまい、残ることができたのは斉藤師範代だけだった。

「運動オンチだったもので、自分が一番初めに辞めると思っていたのですが、結局最後まで残ってしまいました」と語るが、残ることができた理由は、三好師範の人柄だそうだ。「最初の頃、一緒に食事に行ったり飲みに行ったりさせていただいたのですが、自分がまったく知らなかった“男の世界”を見させていただきました」。三好師範から聞く修行時代の話は斉藤師範代にとって、何もかもがカルチャーショックだった。それまでの斉藤師範代の生活は、仕事が終わると何をするわけでもなく飲みに行って、目標もなく日々が過ぎていた。しかし三好師範に出会ってからは、吸っていたタバコもやめ、自堕落な生活から足を洗った。

初期の頃の三好道場は常設道場がなく、公共の体育館や「清風館」という剣道場を借りて稽古をしていた。そこは夜7時半までの剣道の稽古があり、それが終わるのを外で待っていたのだが、冬場は寒くてつらかったという。

現在、三好道場の瀬戸支部で子どもだちに空手を教える斉藤師範代だが、師範代として何を教えていくべきかと聞くと即座に「心です」と一言。「空手は地味な稽古の繰り返しですが、そういうことを一生懸命続けられる子は強くなります」と語る斉藤師範代。三好師範から受け継いだ“男の世界”を今後も子どもたちに伝えていくことだろう。


筒井陽久師範代が三好道場に入門したのは26歳の時。地元である中村市(現在の四万十市)の道場に入門した。入門のきっかけはウエイトトレーニング場で知り合った三好道場生に誘われたことだった。

筒井師範代が入門した当時は、週に一度、三好師範が指導にきていた。師範の指導は厳しいが、非常に目が行き届いていて「ガードが甘い」とか「突く時に肩が入っていない」と細かいところまで手とり足とり教えてくれた。

筒井師範代には入門当時に印象深いできごとがあった。指導員に連れられて、初めて三好師範に挨拶に行った時のことだ。指導員が筒井師範代を師範に紹介すると、師範は座っていた椅子から立ちあがって「三好です」と両手で握手をしてくれた。ところが入門したての筒井師範代は、緊張のあまり動けず、片手で握手をしてしまった。後から考えるとそれは失礼にあたると気づいたが、当時は三好師範のオーラのようなものに圧倒されてしまったのだそうだ。

現在は精肉会社に勤務の傍ら、子どもたちに空手を教えている。「三好師範は大山総裁から直接習った師範ですから、それを伝えていかなければならない。社会に出てからも『空手をやってよかった』と思ってもらえるような指導をしたい」と語る筒井師範代。二人の息子も空手を習わせたが、今では二人とも「空手を習ってよかった」と言っているそうだ。


竹澤剛師範代が極真空手を始めたのは高校を卒業した直後のこと。高校時代は他流派の空手をやっていたが、「空手バカ一代」を読んで極真空手に興味を持った。そんな時、雑誌で三好道場の内弟子募集の記事を見つけ応募。高校卒業と同時に「大和寮」という三好道場の内弟子用の寮に入り、空手三昧の生活が始まった。

当時の道場は血気盛んな若者であふれており、稽古時間には50人近い道場生がいた。当時の稽古は今の稽古と比べてシンプルなものが多かったが、体力的にも精神的にも厳しいものだった。中でも毎週土曜に15sのバーベルを持って行われるサーキットトレーニングは想像を絶するもので、水曜日あたりから土曜日が近づいてくるのが憂鬱になったという。

そんな竹澤師範代には忘れられない思い出がある。世界大会日本代表の予選を控えたある日、三好師範が大和寮にやってきてオレンジ色のブレザーを竹澤師範代に手渡した。それは三好師範が世界大会に出場した際、着用した日本選手団のブレザーだった。

「これは第2回世界大会の時に大山総裁にいただいたものだ。世界大会が決まったらこれを着て出ろ」と三好師範は自らの晴れ舞台で使ったブレザーを弟子に託したのだった。残念ながらその時、世界大会に出場することはかなわなかったが、このエピソードが後年、ワールドカップや世界大会の日本代表として日の丸を背負って闘うこととなった竹澤師範代の原動力となったことは間違いない。ちなみにそのブレザーは今も竹澤師範代の自宅のタンスの奥に大切に保管されている。



2011年新極真会北川賞(その年に模範となった道場生に贈る三好道場で一番権威のある賞)を受賞した斉藤幹夫師範代。中谷元衆議院議員と三好師範と記念撮影。
 
2010年12月の昇段審査で参段となった野本尚裕師範代。三好師範と記念撮影。

弐段の昇段審査合格時、三好師範から帯を授かり感無量の表情を浮かべる筒井陽久師範代。
 
全四国大会で開会太鼓を担当する船井孝誠師範代。少年部や父兄から絶大なる人気がある。

高知大学のメンバーと内弟子時代の竹澤剛師範代(写真右)。ちなみに一番左は若き日の小井泰三・新極真会総本部事務局長。
 
2014年の全四国大会で四国勢として唯一ベスト4入りを果たした谷龍治師範代。優勝した松林賢と正面から打ち合い三好道場の意地を見せた。

野本尚裕師範代は子供の頃からブルース・リーやジャッキー・チェンにあこがれ、何か格闘技をやりたいと思っていた。社会人になり、重機土木工事の会社で働いていたが、仕事の性質上、各地を転々とすることが多く、なかなか格闘技をやるチャンスがなかった。

徳島でゴルフ場の造成の仕事をやっていた時、「極真の道場なら日本全国どこへ行ってもあるだろう」との思いで入門した(ちなみに、その道場には若き日の逢坂祐一郎支部長や前川憲司支部長もいた)。

しかし、重機土木工事の仕事は現場が変わると道場も変えなくてはならず、生活の基盤も安定しないため、30歳を前に地元である愛媛に帰り転職をした。三好道場に移籍し、腰をおちつけて空手の修行を始めた。

当時、愛媛の道場には三好師範が月に一度指導にきていた。師範の稽古は緊張感の中で行われ、身も心も引き締まったという。

野本師範代には三好師範からかけてもらった言葉の中で忘れられない思い出がある。第19回全日本ウエイト制大会の重量級に出場した時のこと。重量級としては体の小さい方であった野本師範代だが、三好師範は試合前、野本師範代に「お前は体格では他の選手にかなわない。だから余計な事はするな。下段蹴り一本に絞っていけ」とアドバイスをした。師範のアドバイス通り、下段蹴り一本に絞った野本師範代は、みごと初優勝を果たした。のちに「下段職人」の異名を取ることになる野本師範代だが、そのきっかけは三好師範の言葉だった。


船井孝誠師範代が空手を始めたのは子供の頃、二人の兄が他流派の空手をやっていたことがきっかけだった。高等専門学校時代も空手部に所属していたが、それは他流派の空手だった。

19歳の時、アルバイト先の先輩に三好道場の生徒がいた。その先輩に連れられて三好道場の見学に行った。それまで興味はあったものの、極真空手は映画などでしか見たことがなかった。三好道場を見学して、初めて極真空手を目のあたりにしたのだが、その迫力にはただただ驚くばかりだった。

とりわけ三好師範の迫力に圧倒された。三好師範のことは映画で見たことがあったが、今その人が自分の前にいる。入門を決意するのに時間はかからなかった。

船井師範代には白帯の頃、印象的な思い出がある。交流試合に出た時のことだが、試合を終えた選手が一人ずつ三好師範に挨拶に行くと、師範は必ず何か一言、その生徒に声をかけていた。アドバイスであったり叱咤激励であったり、それぞれにかける言葉は違うものの、入門したての白帯にも必ず声をかけていた。その時の三好師範の姿を見て、船井師範代は指導者としての細かい気配りを学んだ。

一昨年、弐段に昇段したのを機に師範代に任命された。現在は大津、土佐山田、愛宕と3ヵ所の道場を受け持っている。
「三好道場はどこの道場よりも礼儀正しく、規律がしっかりとしていると思います。その伝統を正確に伝えていきたいです」と語る。


谷龍治師範代が三好道場に入門したのは27歳の時。子供の頃、少林寺拳法をやっていたが、黒帯を取らずに辞めてしまった。それが心のどこかに残っており、もう一度黒帯を目指したいと思った。「どうせやるなら黒帯を取るのが一番難しいとい言われている極真空手にしよう」と思い、見学に行った。道場には子供たちも多く、思っていたよりも雰囲気はアットホームだった。しかし、合同稽古が終わり自主トレの時間になり、黒帯がミットを蹴り始めた時、その迫力に圧倒された。「自分もあのように強くなりたい」―そう思った谷師範代は即入門を決意した。

入門から3ヵ月くらいが過ぎた頃、審査会で初めて三好師範に会った。道場に三好師範が入ると、空気がそれまでとまったく変わるのを感じた。谷師範代は三好師範の迫力に圧倒された。

谷師範代には三好師範の言葉で印象に残っているものがある。それは黒帯の“金筋”についてだ。
「新極真会の黒帯に入っている金筋は“筋金入りの男”の証なんだ」

当時色帯だった谷師範代はその言葉を聞いた瞬間、衝撃が走り、必ず黒帯を取る決意をしたという。

現在、谷師範代は医療用具の営業職の傍ら、湯の山道場の指導を担当している。三好師範から教わったものを地元の子どもたちに伝えていきたいと思ったため、自ら師範に願い出て許可をもらった。
「空手は生活の一部になっています。三好道場の一員として男気と大和魂を生徒たちに伝えていきたいです」と語る谷師範代。現役を引退してもライフワークとして空手は一生続けるそうだ



Profile

野本尚裕
のもと・なおひろ
愛媛支部
師範代 参段
1970年1月29日生まれ


Profile

船井孝誠
ふない・こうせい
高知支部
師範代 弐段
1972年11月29日生まれ


Profile

谷龍治
たに・りゅうじ
愛媛支部
師範代 弐段
1974年3月5日生まれ

 

Profile

斉藤幹夫
さいとう・みきお
高知支部
師範代 弐段
1949年4月15日生まれ


Profile

筒井陽久
つつい・はるひさ
高知支部
師範代 参段
1961年2月12日生まれ


Profile

竹澤剛
たけざわ・つよし
高知支部
師範代 参段
1971年10月31日生まれ



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