影丸 多田先生のおかげですばらしいものが完成しましたね。
−『平成版新空手バカー代 マンガ緑健児物語』は、多田先生が引き継いで一年弱での完成になりました。
多田 僕自身、引き継いでから急かした部分もあったんですよ。いい企画は、できるだけ早く形にした方がいいと思っていたので。描き始まる前の下準備のところが大変でした。どのように書籍を書き下ろしにまとめるのか……などの点で悩みました 影丸 大変だったから押し付けたんですよ(笑)。僕が、この話を引き受けたのは、もう5年くらい前のことですね。そこからがいろいろありました。

「原作の伝えたい部分をうまく漫画にできる人は、多田さんしかいませんでした」(影丸)
影丸穣也
かげまる・じょうや。大阪府出身。1957年、単行本『怪獣男爵』(大阪・あたみ社)でデビュー。代表作は『空手バカー代』『ワル』、『八つ墓村』『悪魔が来りて笛を吹く』(ともに横溝正史の名探偵・金田一耕助の事件簿シリーズ)、『私は貝になりたい』『白鯨』『怪奇大作戦』など、ヒット作は多数。漫画化されたあとに、映画化・Vシネマ化された作品も多く存在する。
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−出版社を探したり、法務関係の整理などで、なかなか前進できませんでした。そんなさなかに影丸先生が体調を崩されて多田先生ヘバトンタッチとなりました
影丸 いろいろ進行は大変だろうなという予感はしていました。
多田 本のすべてを入れることはできないので、どこを入れるか、どこを外すかは大きな悩みでした。また描き始めてから、ここを入れる、外すということになると単純に絵を足したり引いたりするのではなく、最初から構成を作り直さないといけません。また絵柄をどうするかも悩みました。僕は読者に合わせて10通りくらいの描き分けをしますが、いろいろ考えて小中学生が読んでも疲れない絵柄にしました。大人の漫画を読みなれた人には、もの足らないところもあったと思いますが、子供でも頭に入るように心がけたのですが、果たして描き下ろし一冊の分量で原作の内容がちゃんと伝わるだろうかというのは大きな悩みでした。大人の読者よりも、これからを背負って立つ子供たちが読み疲れせず、頭に入ることを一番に心がけて描きました。僕は影丸先生のように絵がうまくないので精一杯やらせていただきました
影丸 多田さんにこの仕事を任せたのは、そこなんですよ。僕が描いたら血と汗と涙(笑)。アクションを、まず考えてしまうんですよ。原作の伝えたい部分をうまく漫画にできる人は誰かと考えた時に、思い浮かぶのは多田さんしかいませんでした。絵柄もこの内容に合っていると思います。
多田 そんなに買いかぶらないでください。ただ絵を描けばいいわけではないので、ずいぶん悩んで相談させていただきました。そんな時に話を聞いて相談に乗ってくれたのが影丸先生でした。本当に僕の師であり、兄貴でもある、ありがたい存在です。
影丸 自分の中で解決策はできているんだけど、それに自信が持てない。そういう時に人に話すと安心できるんですね。
−『空手バカー代』を描かれていた頃も、同じような悩みがあったのでしょうか。
影丸 そういうプレッシャーはありませんでした。梶原先生も自由にさせてくれたので。『少年マガジン』なので、子供がどうやったら喜んでくれるかということを頭に置いてました。後半は大会が続くので、絵を見てこの人が誰なのかということがわかるように気をつけました。
−じつは、あまり選手に会ったことはなかったと聞いたことがありますが。
影丸 そうですね、大山総裁にもあまり会ったことがありません。一番会ったのは、芦原英幸先生ですね
−山崎照朝師範とも新極真会の全日本大会の会場で会ったのが初めてだったそうですね

「描いてる時にしんどくなってきたら、影丸先生と緑代表に元気づけられました」(多田)
多田拓郎
ただ・たくろう。岡山県出身。『平成版新空手バカー代 マンガ緑健児物語』作画。1968年、青春空手道』『漫画パンチ』(芳文社)でデビュー。主な連載作品に、『ジゴロの星座』『HOT BLOOD』(週刊漫画アクション=双葉社)、『鬼の写楽(Men'sアクション=双葉社)、『風の彼方に』(GOLF TODAY=ゴルフトゥデイ社)、『忘れる肌』(週刊アサヒ芸能=徳間書店)、アゲンスト陽介』(コミックパーゴルフ=学習研究社)などがある。
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多田 3年前の大会ですね。当時、大会の会場には行きましたが、試合に出ている選手と話をすることもありませんでしたので、初めてお会いしました。私も驚いたのですが、山崎先生も喜んでくれてうれしかったですね。この漫画の話がなければ大会会場にも行かなかったので、何かご縁があるんでしようね。
−なかなか選手とお会いする機会がなかったということですが、緑代表のことは、この話の前からご存知でしたか。
影丸 極真空手の世界チャンピオンということで、名前はもちろん知っていました。
多田 僕はずいぶん前ですが、佐藤塾の大会に来られた時に声をかけさせていただいたのが初めてでした。
−多田先生は、三好師範と昔からのお知り合いみたいですね。
多田 三好師範や佐藤塾の佐藤勝昭師範、大道塾の東孝師範とは古い付き合いです。
影丸 多田さんは付き合いの幅が広くて、いろんなところに知り合いがいるんですよ。そういうところもいいんですね。
多田 知り合いといえば、母の知り合いの日本で五指に入るという書道家の先生が、この本を見て、大変ほめてくださいました。描いた自分自身もうれしかったんですが、緑代表の話というのはジャンルを超えて感動させるものがありますね
−そんなことがあったんですか。
多田 佐藤塾の大会から何年も経って今回マンガを描かせていただいたんですが、影丸先生に元気づけていただいたように、緑代表にもたくさん元気づけてもらいました。描いてる時にしんどくなってきたら、このストーリーを頭にイメージすると緑代表が苦労したこと、投げ出さなかったことが頭に浮かんできてすごく元気づけられました。場面場面での生き様を描きながら影響を受けて、また直接、お話をしたりしてものすごく元気づけられました。すごくありがたかったです。

影丸先生は、震災チャリティとして大山倍達総裁の絵を描いた |
影丸 本当によく描けてますよ。原作の本はネーム(セリフ)がほとんどありませんが、それを本の内容に沿って作っていかなければなりません。それが原作の内容をうまく伝わるようにできあがっているのは素晴らしいです。あとタイトルが、ただ緑健児物語ではなく、平成版新空手バカ一代とついているのがいいですね。
−最初は出版社も決まらず、どうなるかと思っていましたが、最終的には空手バカー代を出版した講談社から出せて本当によかったです。
多田 平成版新空手バカ一代というタイトルにふさわしい緑健児という人物像をたくさん子どもたちに知ってもらいたい。将来この本の読者の中からチャンピオンが生まれるとうれしいですね。
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